1.日永追分〜白子へ地図
三重県四日市市・日永の追分→河原田橋→高岡一本道→神戸→フジクラ(11km:3.5時間)

■ 日永の追分から ■(2001年5月2日 am09:15〜)曇→雨
日永の追分でさっきから石標を撫で回している男がいる。 男の目は異様に光っていた・・。 そして笑った・・・・。やがて呟いた・・・。♪旅は〜まだ終わら〜ない〜♪ ・朗読をしているような下手糞な歌だった。・・・・ あれから一年、旅人は再びこの日永の追分に立ち、抑え続けた大人の感情を捨てていた。
・・・江戸の庶民が夢にまで見た伊勢街道を俺は行く・・・
天気は曇り、時計は9時15分、万歩計をリセットしてスタート。

■ 道標四基 ■約1〜2km(9:20)
何故か駆け出していた。ゲートインした馬のように非常に入れ込んでいる。とにかく嬉しくて仕方が無いのだ。馬のように・・そして子供のように・・・ 前方の立体交差を潜ってしばらく歩くと左角に「蟹築山密蔵院」を案内する「道標四基」(写真中)がある。 この辺りは歩道の無い道路が続き歩き難い。左右に工場が見え始めた頃、やっと右手に歩道が出現した。 その先、右の旧道を行くと土手に突き当たる。

■ 河原田橋(又兵衛橋)・道路元標 ■約1〜2km(9:40)
河原田橋脇の歩道橋を渡ると右斜め前方に街道らしい道がある。しばらく歩くと街道途中に「津市六里三十二町」と刻まれた 距離を示す標柱が建っていた。 街道右の川堤を登り河原田神社、土手には庚申塔八基が並ぶ。街道に復帰しギョとした。世界一?大きな常夜燈。 旧道をそのまま進み、大きな道路を斜横断すると静かな景色に変わる。その先のトンネルを潜り土手に躍り出た。

■ 高岡橋・一本道 ■約1〜2km(10:10)
土手の向うの青い橋が鈴鹿川に架かる高岡橋だ。橋を渡ると右の土手上に階段が付いた珍しい常夜燈がある。 東海道と違って宿場や一里塚と言ったイベントは無い。伊勢街道では常夜燈が街道を 教えてくれる一里塚だ。 そして、ここからは両サイドに田んぼ従え長々と続く畷道になった・・・・・・ おぉぉー・やっと旅らしくなってきたぞー! 最高だね〜!

■ 神戸見附(かんべ)・大橋 ■約1km(10:40)
家並みが現れ、まもなく石垣が見える、神戸見附だ。 (神戸城=南北朝期に、この地の豪族神戸(かんべ)氏が城を築いたのが起こりとされ、 江戸時代には本多忠統が神戸に移り神戸城を築城する。 今でも神戸高校の西に、本丸跡の石垣が残されている) 町中を連子格子が連なっている、近鉄の踏切りを渡って蛍の名所で有名な大橋を越えると 鈴鹿市内中心(神戸)となり、 街道は入り組んでしまう。

■ 神戸札の辻・常夜燈 ■約1km(10:50)
神戸札の辻辺りから旅人は伊勢街道を見失ってしまった。迷ったついでに蕎麦屋に入った(天婦羅そば800円?海老極小) この地は「鈴鹿市駅」と「鈴鹿駅」の2つがあるらしい。どうやら勘違いして道を教えられたようだ。 町に入ったらあまり街道に拘らないで古い家並みを見ながら歩くことをお薦めする。常夜燈を確認してようやっと街道に戻ることが出来た。

■ 玉垣町・山ノ神 ■約2km(11:20)
伊勢鉄道の高架下を抜け、住宅街から田んぼ道を歩いていると雨が降り出してきた。 急いで伊勢まで続く国道23号線を渡り北玉垣町に入る。 小さな鳥居の奥に山ノ神が奉られていた。 (山ノ神=普通は山の中にいますが、 春になると村里におりてきて田ノ神となって農作物の実りをもたらし、 秋になると山に帰って行きます) 町のメイン通りを過ぎ民家も疎らになった頃、雨は本降りとなった。

■ フジクラ鈴鹿工場〜江島へ ■約2km(12:00)
玉垣団地前の大通りを越えると雨は一段と激しく降りだした。雨宿りのため右手国道にあるパチンコ店に退避して トイレ休憩・位置確認を行う。フジクラ鈴鹿工場沿いを真っ直ぐ行くと約2km・30分で白子に到着する。 目印は近鉄の踏切り。 時間はお昼、本日宿泊予定の津までは到底無理だろう・いや無理に違いない!
・・12:40:試練の旅人は軟弱になっていた。今日は早く帰って寝よっと。 (行程3.5時間:万歩計=18621)

旅人:浮浪雲
2.白子〜千里