6.松阪〜斎宮へ |
三重県松阪市→神戸神社→徳和駅→おもん茶屋→櫛田川→祓川(8km:3時間) |
■ 松阪 ■(2001年5月4日 am07:00〜)晴 松阪の有名は本居宣長、松阪牛、松阪商人(現金掛値なしの画期的な商法で大成功をおさめた三井高利(越後屋・後の三越)を筆頭に、伊勢屋を屋号とする商人達) ・・・松阪は以前、出張で2度ほど訪れている場所だ。松阪城跡よりも城下町の町並みの方が美しく印象に残っている。 木造の小学校を懐かしく見た帰りに魚町界隈で松阪牛を食べようと入った店が和田金で、当時としては高級な値段で痛い目にあった記憶がある。 ・・・・しかし昨日の記憶は薄く、歩いた記録の写真だけが残っている。(もしかして酷使した身体が陶酔状態を創ったのかも知れない) |
■ 松阪商人の館・三井家発祥地・本居宣長旧宅跡 ■ ■松阪商人の館(写真左)江戸で紙や木綿を手びろく商いしていた豪商、小津清左衛門の邸宅。 0598-21-4331大人 200 円 ■三井家発祥地(写真中)三井家全盛の基礎を築いた三井高利が、生まれ育った場所。昔の越後屋(三井家の店舗)跡に松阪もめん手織りセンターがある。 ■本居宣長旧宅跡(写真右)「古事記伝」で有名な本居宣長の旧宅跡。 |
■ 閻魔堂・神戸神社 ■約2km(07:30) 朝7時にホテルを出発、和歌山街道との追分道標を確認して伊勢街道を行く。 煉瓦歩道を歩いて突き当たりを右に、 しばらく歩いた二又の右道が伊勢街道。 大きな病院を過ぎ名古須川を渡った先に信楽寺の閻魔堂がある。その先は神戸神社だ。 今日は天気も上々気持がいい。朝陽を浴びた金剛橋を快調に渡る・・・(♪落陽が好きだが朝陽もいい!) |
■ 徳和駅・女人供養塔 ■約1〜2km(08:00) 500m程歩いた、人家も疎らな田園地帯の真中、極門橋の袂に常夜燈。 そこを過ぎ下村町に入ると遠くで犬の声がした。一瞬緊張!。 一際大きく吠える家の前は脇目も振らず、前方の一点を見詰め足早となった。 気が付くと大通りを渡ってJR徳和駅まで来ていた。 安堵から販売機でお茶ボトルを購入、立ち飲み状態で街道傍らの女人供養塔を見た・・・?。慌てて頭を下げる。 |
■ 危険な街道 ■約1〜2km(08:20) 上川町に入ると連子格子が多くなる。しかし狭い街道は自動車主役の伊勢街道となってしまった。 歩道区切り線はあるのだが反対車線から車が来ると旅人は民家の軒先へ追い遣られる運命なのだ。 ここから櫛田川までは非常に歩き難い危険地帯で伊勢街道の難所と思われる。 「従是外宮四里」と刻まれた道標を確認し、時計を見るとまだ8時過ぎ、 四里16Kじゃ、昼には伊勢に居ると皮算用。 |
■ おもん茶屋〜 ■約1km(08:40) 車を避けながら「おもん茶屋」に到着(白壁・虫籠窓のこの茶屋は「へんば餅」を名物にしていた) わき道に庚申堂や地蔵堂、隣は連子格子がある。 日差しが強く路面が光る街道で一息つける景色は有難い。 大きな道路を渡ると赤鳥居の中に「大櫛神社の碑」があった。その先は櫛田川の土手となり街道は川を渡る。 |
■ 櫛田川〜漕代駅 ■約1km(09:05) 櫛田橋は改装中だったが未完成部分の歩道橋を歩くことができた。 対岸の街道はなだらかに続き、そこに今も経営を続ける旅籠屋「つる屋」の勇姿があった。 長閑な田んぼ道が時々現れる平穏な街道は「六字名号碑」(正面に6文字の梵字が刻まれている)まで続き、漕代駅近辺で住宅街となり、 町並みが終わった先に赤い橋がみえる。 |
■ 祓川〜斎宮駅 ■約1km(09:30) 橋は祓川に架かる祓川橋だ(祓川=今から1300年の昔、斎宮が都から竹の都(明和町斎宮)へ入る時に、この川でお祓いをした事による) 明和町に入ると景色は田園風景となった。 どうしても、この場所で休んでみたかった。水路の流れを見ながら昨日コンビニで買ったアンパンをゆっくりと食べた。 幸せな時間だった・・・・旅人はやがて歩き出した。ゆっくりと・・・ ・・・10:05:食堂皆無の街道に敗れ、旅人は斎宮駅前に退却。コンビニで御握りを確保。・・・ (行程3時間:万歩計=11051) |
5.雲出〜松阪へ 7.斎宮〜宮川へ |