栃木県小山市・逢の榎→本陣跡→間々田八幡宮→千駄塚→若盛→神鳥屋東(6km:2時間) |
■ 間々田宿について ■(2002年5月3日 am11:00~)晴 ・・・国道々と騒いで居るが、ここまで来ると、人ゴミを離れた解放感は都心では得がたいものがある。 日常を引き摺って悲愴な気持ちで進むより、歩き旅は風に流される方が楽なのだ。・・・・ 仏光寺を右に見ながら歩いて行くと、乙女交差点辺りから殺伐とした4号線に古い家並みが目立つようになってきた。 待望の宿場が近い。 ・・・ 間々田の特産品は鎌倉時代から伝えられている手編みの組ひも「間々田紐」と 水源に恵まれた(普通の水に比べて硬度が8度と高く日本酒造りには最適)日本酒がある。 ・・・ |
■ 乙女不動尊・逢の榎 ■約2~3km(11:40) 間々田駅入口交差点を左に曲がり乙女不動尊(泉龍寺内)へ寄り道をする。 目の前には国指定史跡 乙女不動原瓦窯跡があった。 (奈良時代、下野薬師寺など地域の重要な寺院に瓦を供給していた) 街道に戻り消防署先の交差点を越えると右民家の壁に隠れて「逢の榎」がある。 (毎年、街道を通る例幣使が江戸と日光の中間点に榎を植えて(間の榎)旅の目印とした。) |
■ 龍昌寺・間々田宿本陣跡 ■約1km(12:00) 緩やかに坂を登ると左に龍昌寺の門が見える。境内の頭が尖った不動堂に驚き、 緊張したためトイレを借用した。 後で調査したら、この龍昌寺は江戸時代に住職が有名な「間々田の蛇祭り」を発案した由緒あるお寺だった。 間々田交差点を越えた先、左駐車場奥に新築の門扉が見える、ここが本陣があった場所である。 現在は青木家の表札がかかっている。 |
■ 間々田八幡宮・浄光院 ■約500m(12:10) (間々田の蛇祭り=毎年5月5日に藁で作った長さ20m近くの蛇体を子供たちが 「蛇がまいた(ジャガマイタ)、蛇が巻いた、4月8日の蛇が巻いた」と囃しながら練り歩き、 各町内の蛇が間々田八幡宮に集合し、神事や蛇の水のみ行事を行い各町内に散会する伝統行事) その間々田八幡宮への参道入口(間々田中央公園)を過ぎた先で浄光院、そして道は続く。 |
■ 天理教会~浅間神社(千駄塚古墳) ■約1km(12:30) 右の天理教会の白壁がカーブとともに続いている。 小山脳神経病院を過ぎ、しばらく歩いて千駄塚の交差点を越えると、道の傍らに 古墳入口?の道標、その先には浅間神社の標柱がある。奥のこんもりした森が千駄塚古墳だ。 (千駄塚古墳=入口に鳥居を構え、頂上に富士山信仰の浅間神社を祀り、別名「浅間山古墳」ともいわれる 大形の円墳で、直径は約70m、高さは約10m) |
■ 西堀酒造~安房神社 ■約1km(12:50) どこまでも続く酷道を行くと、 やがて粟宮南交差点の先に、大きな土蔵が出現した。 ここ「西堀酒造」は間々田特産の日本酒「若盛」を製造している老舗である。 人気があるらしく、観光客が次々と土蔵の中に入っていった。 ここから600m程先の粟宮交差点手前に「安房神社」がある。 (安房神社=藤原秀郷が平将門討伐の戦勝を祈願したと伝えられ、代々小山家の崇拝をうけてきた ) |
■ 粟宮~神鳥屋東へ ■約1km(13:10) 二又交差点の右旧道を行く。 ゴルフ練習場のネットを見ながら歩いていると、道はやがて穏やかな歩道となった。 旧道には家並みも現れ、大きな巨木も生きていた。 神鳥屋東の国道50号線を潜ると小山宿に入る。 ・・13:15:・・バス停のベンチに腰掛け、悩んでいる男が居る。泊ろうか、帰ろうか、結局、男は楽しんでいた。ベンチは好い加減にしてほしかった。 (行程2時間・2002.5/03(金):万歩計=22835) |
11.野木宿~間々田宿へ 13.小山宿~新田宿へ |