神奈川県藤沢市→四谷交差点→本宿→茅ヶ崎一里塚→馬入橋→平塚宿(14km:3時間半) |
■ 藤沢宿について ■(1999年6月19日)曇→雨 今日の天気予報は雨。でも涼しそうなので決行することにした。 防水コートと携帯傘、着替え類をリックに入れ完全装備。 (♪アメアメふれふれ♪カーさんが~♪っと) 藤沢本町駅に着いたのは午前8時だった。調子良く出てきたが、ここまで来るのに大変だった。 東海道歩きは、いつも昼すぎなので気が付かなかったが、 土曜の朝は学生の通学時間帯だったのだ。 ・・・・・・ 藤沢宿は時宗の清浄光寺(遊行寺)の門前町と江ノ島詣の足場として発展し、江戸時代に東海道の宿場町とされた。 :藤沢の地名は、淵沢(ふちさわ)が藤沢(ふじさわ)に転化したとする説があります。 |
■ 白旗神社 ■約100m 先週歩いた白幡交差点まで戻り、東海道を右に折れ藤沢バイパス近くの白幡神社に行く。 (平泉で亡くなった源義経と弁慶の霊をまつり、この地の鎮守さまとしたものがこの白旗神社と伝えられている 。 悲運の最期をとげた義経の首が、境内の塚に埋められ静かに眠っている) 交差点に戻り、角にある茂みを 永勝寺と思い(飯盛女を皆平等に手厚く弔った男、旅篭屋小松屋源蔵が眠る)近寄ってみたら学校(写真右) だった。永勝寺はパス! 今回の藤沢宿~平塚宿間は距離が長く(14k)小雨も降り出してきたのでノンビリしてはいられないのだ。(・・・何だか、ちょっと淋しい旅人・・) |
■ 義経首洗い塚 ■約100m 先週、義経の首塚を探し周り、ついに見つからず帰宅したが、今回もチャレンジ! 白旗神社途中にあったローソン(コンビニ)の親切な、お兄さんに聞いて(5人目)やっと解った。 旧東海道沿いの銀行の植え込みにあった看板地図が悪いのだ!(義経の絵が白幡神社の途中に描いてあった)看板手前の路地奥に ある小さな公園の中にありました。ここの井戸(写真右)で洗った義経の首が白幡神社にまつられたのであって、 旅人はどうしても両方にお参りしたかったのです。 これでやっと平塚宿を目指して出発だ!! |
■ 何か東海道らしい ■約1~2km ぽつりぽつりと雨が降って来たが朝の歩きは気持ち良い。右手に都会じゃ見えない景色が 目に映る。何か心細くなっちゃったな~・散歩のつもりが・・・それでも足が一直線に何かを目指して急いでる。 東海道の案内書では、ここら辺りは名所・旧跡があまり無い。ただひたすら歩くのみ。 駅から近いせいか通勤・通学の慌ただしい光景がみられた。道路を横断しようと思って 車にぶつかりそうになった人。友人の蹴りを食らって追いかける学生。 見慣れた、ほっとする一時だ。都会人の習性ってやつでデジカメ写真はいつも人 を避けていた(人込みを避け自然に接したい意識) ・・東海道には人がいなくちゃ絵にならない。(広重談?) 自分の写真に人が登場した時が東海道旅の終わりかもしれない。 |
■ おしゃれ地蔵 ■約1~2km 道路左側に小さな祠を見つけ近づいてみると道祖神の顔に何か塗ってあった。案内板には 「女性の願い事なら何でもかなえて下さり満願のあかつきには、白粉 を塗ってお礼をする」と伝えられており、今でも、お顔から白粉 が絶えることがないという。そのような所から、誰からともなく 「おしゃれ地蔵」と名付けられたとされる。 と書いてあった。「旧東海道の旅」でイメージした地蔵はもっとデカかったが・・女性らしくかわいい地蔵でよかった。 道は続く、しばらく行くと四谷のT字路に突き当たり国道1号を左に向かう、ここに大山道標があったらしいのだが 見落としてしまった。 |
■ 東海道松並木 ■約2~3km ここまで歩道が広くそして起伏も少なく歩きやすい。松並木の両側もたっぷり歩道を取ってある。 茅ヶ崎近くで松並木の案内板(写真中)に書いてあったが大切に保存しているようだ。 雨足が強くついに携帯傘と防水コートを着用した。足が急いでいる。少し落ち着こうと近くのマクドナルドに入りコーヒー を飲む。しかし全席禁煙であった。悔しいのでトイレとついでに傘入れビニールを3枚ゲット。 なにしろ雨の日は道路に座ることが出来ない。不便だ。 |
■ 茅ヶ崎一里塚 ■約2~3km 少し坂を下ると信号角に「茅ヶ崎一里塚」があった。日本橋から数えて14番目の一里塚である。 その先、茅ヶ崎駅前交差点で東海道の歩道は地下を通らなければ先へ進めない。 雨が降ってるから許すけど、障害物競走じゃないんだよ、旅人は疲れていた。 何も無い道をひたすら歩く一人旅。古い建造物が目に入ると写真に収めて歩き続けた。 (浄土真宗「上正寺」本村1丁目の「八王子神社」など) 日本橋から58・59・60キロ(鶴嶺神社の先)の道標を見ながら少しづつ進む歩きを確かめる。 |
■ 天神社と鶴嶺神社 ■約3km 道路右側に迫力の社があったので歩道橋を渡り覗いてみた。 第六天神社=(天地世界の創造の神、天神七代の神々の内、第六代 目の神で国土生成の大神様であります・新田義貞、鎌倉攻め (元弘三年)の際その兵火の祝触にあったと伝承されております) よく解らなかったが確かに由緒ありそうな神社であった。しばらく歩くと目の前が明るくなり 大きな橋があるような予感。行くと相模川ではなかった。東海道はそんなに甘くない。 鳥井戸橋を渡ると「鶴嶺神社」の参道入り口の赤い鳥居が見えた。この辺りは神奈川県内の東海道では 唯一、左に富士山が見える場所らしい(運がよければ現在でも見える) |
■ 相模川を渡る ■約1~2km 完全装備の旅人も足の方が濡れてきた。馬入橋の手前で靴下を取り替えるのに丁度良い雨避けトンネルがあったので行ってみたが、 幅が狭く車が来たらトコロテン状態になりそうだったので引き返しガマンした。 目の前は相模川、この馬入橋を渡れば平塚宿だ。宿場で装備を整え、 その先大磯宿まで3キロくらいだから今日はガンバッテみよう! (ここまで上出来だったのに身の程を知らぬ旅人は後でバチがあたる) ・・・午前11時30分:旅人は雨が好きらしく、調子に乗ってまだ歩き続けている。 (行程3時間30分・1999.6/19(土):万歩計=続行中) |
6.戸塚宿~藤沢宿へ 8.平塚宿~大磯宿へ |