30.見付宿~浜松宿へ(街道地図)
静岡県磐田市→旧見付学校→磐田駅(3km:1時間)天竜川→浜松アリーナ(10km:2.5時間)

■ 見付宿について ■(1999年11月5日)晴
もうすぐ東京に帰らなくちゃならない。 この3日間、街や野山を歩き丘を越え排ガスも目一杯吸い込みながら歩き続けた。 あっという間の出来事だった気もする。 この愛宕山から見付宿を眺めていると、このまま時間が止まりそうだ。 真っ昼間で良かった。もし夕焼けでも食らったら大人を捨てて本当に子供になって仕舞ったかも知れない。 見付宿は現在の磐田市である。 サッカーのジュビロ磐田や東海道随一の学問の神様で崇拝される 「見付天神」の「裸祭り」で知られている。 見付の名は西から来て始めて富士山が見えた場所・見付けた場所からきたと 言われている。また御油に至る姫街道の起点でもあった。

■ 愛宕山・見付宿石標 ■約500m
坂を下ると左角に阿多古山一里塚(写真左)、その急な石段を上り愛宕神社(愛宕山)に 参拝した。質素というか荒涼とした神社だった。振返ると見付の街が一望(写真中)できる。ここからの眺めは絶景だ。 しばし休憩する。いや、他動的に茫然と立ち尽くしたと言って良い。 こんな景色を何時か何処かで観た事があるような気がする・・・ 大きな通りを歩き中川橋を越えると立派な東海道見付宿石標(写真右)が建っていた。

■ 宿場中心 ■約100m
先へ進む(写真左)と大通り交差点付近に一際目立つ御朱印屋敷・冷酒清兵衛邸(写真中)が江戸情緒を 残してくれていた。 信号を渡ると右に(写真右)常夜燈と高札場跡がある。 その路地先には淡海国玉神社 (境内には1864年大久保忠尚が設立した 公共図書館・磐田文庫がある) と見付のシンボル「旧見付学校」があった。 今様膝栗毛の旅に出てくる人形レプリカの授業風景を思い出し 同じように授業参観をする事にした。

■ 旧見付学校 ■入場無料:午前9時~午後4時30分:休館月曜:年末年始:0538-4511
旧見付学校=現存する日本最古の洋風木造小学校校舎です。 明治5年学制の発布に伴い寺を仮校舎として開校した。 町の有力者の協力によって資金調達が行われ、 明治8年に新校舎が完成されました。 明治16年に当初の2階2層建てから、 1階増築して3階2層建てになった。 玄関はエンタシス様式に近似した飾柱を配している。 その後は小・中・女学校、病院として使用され、 昭和28年に郷土資料館、 昭和44年国指定史跡、現在は、学校関係の資料が展示されている。

■ 姫街道~磐田市内 ■約2~3km
2~300m進むと姫街道入口(写真左)の交差点、真っ直ぐ行くと姫街道である。 (浜名湖の関所を避けた女性が迂回した街道) ここを左折し、東海道は磐田駅まで一直線だ。右に西光寺、信号を越え、 坂を緩やかに上って行くと左に府八幡宮(写真中)、ジュビロ磐田一色の商店街(写真右)を 抜けて突き当たりの磐田駅に到着。(ここから先の天竜川を越え浜松までの間は、次回歩いた時に報告します)
・・・午後17時:東京に戻った男は何事も無かったように大衆の暮らしに消えていった・・ (行程1時間(計6.5時間)・1999.11/05(金):万歩計=33344)

■ 時は過ぎ・再び磐田駅から歩き始める ■(1999年12月16日)晴約2km
いつも思うことだが最初に歩き始める雰囲気は最高だ。 これから始まる俺だけの時間に嬉しさが込み上げてくる。 午前8時30分:磐田駅前から出発する。 目の前に樹齢700年の大きな楠木(写真左)があった。 その先商店街の角を曲がって(写真中)東海道へ復帰(写真右)する。 見付宿はサッカー「ジュビロ磐田」のJリーグ優勝で盛り上がっていた。 やがて街道は県道とぶつかり、橋を越える。

■ 宮之一色一里塚~天竜川 ■約2~3km
右手バス停に緑が見え江戸から63番目の宮之一色一里塚(写真左)を発見。 先へ進むと工事中の道路左に、今までと少し違った秋葉山常夜燈(写真中)があった。 (下は風雨避けのため板で囲まれ、 上は格子窓で灯りが外から見えるようになっており、屋根は瓦葺き) 道はしばらくして分岐し静かな左の道を行くと若宮八幡宮がある、やがて街道は突き当たり 天竜川の土手が見えてきた。住宅街の中の天竜橋跡(写真右)を背にして土手を駆け上った。

■ 難所・天竜川を渡る ■約1~2km
これが天竜か!学生時代に信州伊那で見た印象とは大分違っている。 東海道の天竜川は大きい! すでに歩いた人達が、現代の難所と言っていた天竜川をついに渡るのだ。 2本ある橋のうち手前の天竜川橋(写真中)は人が入り込む余地がない。 新天竜川橋は渡れそうだが、車のスピードが速い、黄色の手拭いを首に巻き、 白い軍手に身を包み・・・誰か渡らないかと人を待った・・・誰も来ない・・ 意を決して新天竜川橋(写真右)右側を歩き出した。都会っ子の旅人には山の中よりマシだったのだ。 (注:専用歩道完成2007.1現在)

■ 舟橋跡~浜松まで ■約3~4km
大型が通るとやはり恐かった。渡り終えてトンネルを潜り反対側の道に出る。 六所神社の土手に上り舟橋跡・天竜川木橋跡(写真左)を確認、急ぎ足で街道に戻る。 しばらく行くと金原明善の生家(写真中)があった。そのまま道を進むと国道と合流。 味気ない国道をひたすら歩き、橋羽の六所神社(写真右)を越え、やっと右手に浜松アリーナの 姿が見えてきた。
・・・まだ11時、街道を急ぎ駆け抜けている自分を責めている旅人がいた・・ (行程2.5時間・1999.12/16(木):万歩計=計測中)

旅人:浮浪雲
29.袋井宿~見付宿 31.浜松宿~舞坂宿