三重県鈴鹿市庄野町→女人堤防碑→和泉橋→西信寺→和田一里塚(8km:2.5時間) |
■ 庄野宿について ■(2000年3月17日)雨 昨日は宿泊先の亀山駅に降り立ち、少し驚いた。 駅前はバス停が中心で商店は数える程度の淋しい場所だった。 コンビニも無かった。 亀山第一ホテルまで歩くと国道沿いにスーパー等があり、 何とか、いつものカップコーヒー、夜食を確保でき一安心。 ・・・・ 庄野宿は東海道45番目の宿場で、 成立した時期も一番遅く。 また石薬師宿から一里に満たない距離で、石薬師と同じように 伊勢詣の旅人は東は日永の追分、西は関から別ルート をとってしまうので人通りは少なかった。 広重の名作、庄野の白雨(にわかあめ)に描かれている竹薮は この地で随所に見られる。 |
■ 庄野宿中心 ■約1~2km 気持ちよく加佐登駅を8時出発、今日の天気予報は曇。 しかし街道(写真左)に復帰する間に雨が落ちてきた。 風が強く傘は役に立たない。通学自転車も飛び交っている。 庄野のにわか雨かと思ったが、激しい風雨だ。自転車学生のヘルメットが羨ましい。 ほどなく左に庄野宿資料館(写真中)、歩く右先には本陣跡(写真右) ここはゆったり歩きたい街道だ。 雨宿りしながら待ったが止みそうに無い。 ・・宿場を抜け国道交差点を斜横断して 旧道を行く。 |
■ 女人堤防碑 ■約1~2km 街道を歩いていると左前方に緑の視界が開け、そこに女人堤防碑(写真左)があった。 (水害に苦しむ領民は藩主に堤防修復の嘆願をしたが許されず、 村の生活を守るため打ち首覚悟で女達が6年の歳月をかけ完成させた。 女達は処刑場へ送られたが家老が死をもって藩主を諌め、赦免の早馬で 救われる) 碑の裏手?に「従是東神戸領石柱」(写真中)左に土手を意識しながら進むと 住宅地に入り常念寺(写真右)があった。その先に見事な櫓屋根。 |
■ 和泉橋 ■約1~2km 安楽川に突き当たる。左角に川俣神社(写真左) (境内には神戸城主が愛飲した無上冷水井跡や庚申塚、座標の石柱がある) 風が吹き荒れる和泉橋(写真中)を渡り右に街道(写真右)は続く。 ・・・天気予報を信じて、昨日、子供用のレインコートを捨ててしまった事が 悔やまれる。念のため電池類はリュックから懐に移動しておいた。 それにしても良く降るなぁ~。雨は強弱を繰り返し荒れ模様、雲間が切れると 陽がさしたりしている。 |
■ 地福寺~国道 ■約1~2km 所々に古い家並み(写真左)が残る街道を行くと正面に常夜燈がある、地福寺(写真中)の入口だった。 ここから左に坂を下って国道に出る。//// 電気工事の車が数台駐車してあった。民家の軒下で何やら相談。 ・・こんな雨じゃ仕事にならない云々・・そこへ大雨の中を平然と歩く男が登場! ・・迷っちゃったんだろーな・・//// 関西本線の線路を渡った辺りに迫力の竹薮(写真右)。 この先で道は別れるが狭い旧道を行く。 農協のキャッシュコーナーで雨宿り、ついでに東京三菱のカードで現金を引き出す こともできた。 |
■ 西信寺~川合椋川橋 ■約5~600m しばし休んで井田川駅を通過、国道を横切る。 旧道を歩いてすぐに、お寺がありそうな狭い道を左折する。 そこに西信寺(写真左)。時刻はまだ10時前なのに夕方のよう(写真中)だ。 川合椋川橋(写真右)を渡ってバイパスの下を通りかかると 数羽の鳩がタムロしていた。 そこで旅人はついにやってはならない行動に出てしまった。 ハトに話し掛けたのだ。 「ハトちゃん退きなさい!」淋しさ故の独り言。 どうやら誰も見てなかったようだ。誤解されても困るので気をつけよう。 |
■ 谷口法悦題目塔~和田道標 ■約5~600m 空き地の中に南無妙法蓮華経と彫られた谷口法悦題目塔(写真左)がある。 (江戸時代、谷口法悦と言う人が刑死者の供養のため各地の刑場に供養塔を建立、ここは川合の刑場跡) その先左に和田道標(写真中)が残る。旧道は一旦国道に出た後、再び戻ることになるが、 そのまま東海道と書いてある道を進む。福善寺 辺りの雑貨屋でレインコートを買おうと思ったが置いて無かった。 西への道(写真右)は雨と共に続いていた。 |
■ 石上寺~和田一里塚 ■約1~2km 石上寺 (空海が創建、和泉式部も参籠したと伝る) から上り坂(写真中)となった。 マンホールも色づき亀山に入ったようだ。 和田一里塚(写真右)の手前、人家のガレージで足マメ保護シールを貼り、靴下を履き替えた。 この先、国道306号の交差点にある「ローソン」でやっとレインコートを手に入れる事ができた。 ・・・10時半、男は健康ドリンクを一気に飲み干した。左手が腰の定位置にあったのは言うまでもない・・ (行程2.5時間・2000.3/17(金):万歩計=計測中) |
46.石薬師宿~庄野宿へ 48.亀山宿~関宿へ |