55.大津宿~三条大橋へ(街道地図)
滋賀県大津市→義仲寺→大津宿→逢坂→山科→日岡→南禅寺→三条大橋(12km:3.5時間)

■ 大津宿について ■(2000年5月4日)晴れ
ついに此処までやって来た。街道はもう残り少ない。 品川の暮らしの中で生きていた東海道、 この地面の先に京都がある。何時か歩いて行きたいと夢みていた。 そんな京都が目の前に有る。 三条大橋を渡れば夢の外へ出てしまうのだ・・・ ここからUターンして街道の中を何時までも歩いていたい・・・・ 俺にとって東海道は夢の中だった。 ・・・・ 品川宿から西へ上って東海道最後の宿場、大津宿は 琵琶湖の湖上交通や陸路の要衝であり近江商人の町として栄えた。 宿場数は街道一といわれ、宿域規模も広大であった。 また、この地では木曽義仲の自刃、ロシア皇太子襲撃などの事件が起きている。

■ 義仲寺(ギチュウジ)~大津宿 ■約1~2km
道はやがて狭くなり馬場一丁目に義仲寺(写真左)がある。 木曽義仲は兵を挙げて平家を打ち破り京に入ったが 、源頼朝・義経らの軍に追われて粟津の現在地で最期を遂げた。 後に松尾芭蕉がこの寺をたびたび訪れ、生前の遺言によってここに墓が立 てられた。 境内には、芭蕉の辞世の句である旅に病で夢は枯野をかけ廻る木曽殿と脊中合せの寒さかななど数多くの句碑が立つ) 東海道は宿場の面影を残して大津宿へと続く。

■ 県庁~大津事件の碑 ■約1~2km
大津宿の裏道には静かな佇まいが残されていた。 街道左には豪華な滋賀県庁(写真左)、京町住宅街の片隅に「露国皇太子遭難之地」(写真中) (明治24年、ロシア皇太子ニコライが津田三蔵巡査に切り付けられて負傷した「大津事件」) その先大きな交差点が札の辻。 ここで自転車に乗ったオジサンに声をかけられた。 地元の人で大津の歴史に詳しく、 昔、京都まで歩いたことがあるらしい。 大通り(写真右)の緩い坂を登って行くと大津宿本陣跡(大塚嘉右衛門宅)

■ 逢坂~蝉丸神社 ■約2~3km
自転車オジサンに教えられた珍しい明治トンネル(写真左)を見ながら歩き出す、 京阪京津線の踏切りを渡った先の「蝉丸神社下社」 (浄瑠璃で有名な盲目の琵琶の名手、蝉丸を音曲の神様として奉る) を通過すると逢坂の碑(写真中)。 現代の逢坂越道は線路と国道に挟まれた歩道になっていた。 (写真の橋は名神高速) 赤い鳥居が鮮やかな「蝉丸神社上社」の先を急ぐと、 やがて東海道は右にカーブをしながら頂上に至る。

■ 逢坂の関~名水・走井 ■約1~2km
坂の上には逢坂山関址(写真左)がある。 (「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」という蝉丸の歌で有名) 国道から右に入って京阪線を下(写真中)に見た。 短い旧道には、鰻料理の老舗「かねよ」「蝉丸神社分社」「元祖走井餅本家」跡の石碑が点在する。 歩道橋を渡って先程の国道を再び歩くと月心寺(写真右) (境内には昔、旅人が逢坂越で喉を潤した名水「走井」が、今でも湧き出ている) 峠を越してなだらかに降るこの道は気持ち良い。

■ 山科 ■約3~4km
高速下を通って、交番前の旧道を行く(写真左)。道は緩やかに小高く登り、しばらく行くと 見通しの良い街道の先に山科の追分道標(写真中)がある。 右の東海道を歩くと昔懐かしい郵便ポストに出会う。 国道1号に分断された街道の先には小関越の道。 市街地に入り、山科駅手前で忠臣蔵の「義士餅」 を売る和菓子屋さんを見付けた。 大石内蔵助が山科に棲んでいた関係なのだろう。近くに赤穂義士の供養塔もあるらしい。 山科駅前の繁華街を歩き抜ける。

■ 狭い東海道を清水山へ向かう ■約1~2km
街道の家並みが落ち着いてきた辺りに「右ハ三条通」と彫られた道標(写真左)が 見える。ここからしばらく歩くと国道1号と合流した。 信号を横断し東海道線の下を通って左側の道を見ると東海道は急に狭く(写真中)なっていた。 まさかと思い、道行く人に聞きまわるが、間違いなく路地裏のようなこの道だった。 東海道はやがて細い道を山に向って(写真右)進むことになる。かなりキツイ坂道に汗をかき、 街道を飛ばす車にも冷や汗をかかされた。

■ 亀の水・日ノ岡峠 ■約2~3km
坂の途中に木喰寺の亀の水(写真左)がある。 (木喰という僧が設置した旅人のための水飲み場で亀の口から水が出る) この坂は昔の日ノ岡峠らしい。 峠の頂上付近は住宅の密集地で東海道の威厳はすでに無い。 その先、日ノ岡の家並み(写真中)は昔の道幅を残し、 国道1号を見下ろすように活きている。 その国道(写真右)に降り立ってみると、山を切り開いた道の向こうに都があるような気配を感じた。 右・左と曲ったカーブの先で、ついに京都が見えた。

■ 南禅寺 ■約1km
坂を降って東海道は左にカーブする。 残り僅かな街道を惜しむ気持ちが南禅寺(写真左)に寄り道をさせていた。 ・・ゴールデンウィークの真っ最中で人出が多く、 門前には名物の湯豆腐を食べさせるお店が繁盛していた。有名な山門 を潜り、無事、京都に到着した事を感謝し参拝する。・・ 琵琶湖疏水の用水路跡(写真中)を通り街道(写真右)に復帰した。 ここは京で最も重要な出入口で木曽義仲・織田信長が上洛した粟田口である。

■ 京都三条大橋 ■約1~2km
白川橋を越えた市中の先で 勤皇の志士・高山彦九郎(写真左)が御所に向って跪き礼拝していた。 ここが三条大橋だ。江戸日本橋から歩き出し、ついに夢京都に到着したのだ。11:40 ・・・・橋の向こうには現実の京都がある。 夢の出口三条大橋を渡るのに、旅人は1時間余りを必要とした。 ・・・・京の都は遠い昔から何事も無かったように何時までもそこにあった・・・
・・・15時、東海道は楽しかった!でも終わってしまった・・旅人は複雑な想いを胸に、静かに膝栗毛を休ませた・・ (行程3.5時間・2000.5/4(木):万歩計=22192)

旅人:浮浪雲
54.草津宿~大津宿 ☆.京都着