4.津〜雲出へ
三重県津市→四天王寺→観音寺→閻魔堂→三叉路→高茶屋→(9km:3時間)

■ 津 ■(2001年5月3日 am10:40〜)晴
昔の賑わいが聞こえてきそうな熱気を感じた。 この街道には全国から旅人が集まる自信と風格の宿場風景が残っている。 写真は江戸時代から味噌・醤油の醸造販売を営んできた阿部家である (藤堂高虎は1608年に津城主となり、城を大改修して城下町を整備し、 海岸近くを通っていた伊勢街道を、城下に引き込んで津を宿場町として発展させた。 伊勢へ向かう途中にあたる津は、 伊勢音頭で「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と謡われるほど 伊勢参宮の人々で大いに賑わった。現在では三重県の県庁所在地となっている ) 津駅を右に見ながら街道は国道と並行して伸びている。

■ 四天王寺 ■約1〜2km(10:50)
ビルの合間に突然現れる善徳寺連子格子を過ぎると右奥に四天王寺がみえる。 (聖徳太子ゆかりの古刹で、寺記に「用明天皇の御字に聖徳太子物部守屋を討ちて 四箇所の天王寺を創建せらる。本寺はその一なり」とある) 境内に山門、太子堂、外には北向地蔵目洗地蔵が置かれている。 国道の塔世橋を渡り、しばらく歩いた先に歩道橋、その左横道が伊勢街道である。

■ 津・観音寺 ■約500m(11:10)
歩いてすぐに大門商店街のアーケードは見つかった、その先に津で有名な観音寺。 昔から「津の観音さん」で親しまれている如意輪観音は日本三大観音の一つといわれ、 正面の仁王門境内の銅燈篭も有名だ。 アーケードの中、金髪の若者が大声で携帯している傍らに貫禄の参宮道標が建っていた。 騒音の商店街を抜け出て岩田川を渡る。 (岩田橋は銅製の擬宝珠が付いた橋として街道の名所となっていた)

■ 閻魔堂 ■約2〜3km(11:50)
国道の先、岩田交差点、信号の左斜め小道を入って行く。 大きな道路を横断し、少し歩いた町角に延命子安地蔵尊真教寺・閻魔堂が 建てられている。 道路を挟んだ反対側には市杵島姫神社があり、 この地点は道路が複雑に交差して どの方向に進むか不安となるが、右の細い道に地図を必要としない街道風景がみられる。

■ 八幡町の家並み・地蔵堂 ■約500m(12:10)
街道は素晴らしく、眼の覚める昔町の光景が続きます。 イベントの神明神社薬師寺も町並みに溶け込んでいる。 途中、松源寺で見かけた地蔵堂(弘法大師作の地蔵を祀る)にはこんな伝説があった。 (松源寺に立ち寄った後、富士参りに出かけた人が山中で道に迷い 旅僧に姿を変えた地蔵に助けられたという) 街道はやがて香良州道の追分に達し、小さな思案橋を渡る。

■ 三叉路・藤方の家並み ■約500m(12:20)
国道と線路を横切ると伊勢街道は伊勢古道との三叉路に合流した。(真中の写真は振り返って三叉路を撮影) 静かな景色とは裏腹に、こんな狭い道で大型バスがすっ飛ばしていた。何を考えてるんだ!三○交通ーー! それでも街道は季節も天気も最高潮!点在する神社仏閣を横目に見ながら相川橋を渡って高茶屋へ向かう。

■ 高茶屋 ■約1〜2km(13:00)
高台を歩いているようだ。ここ一帯は桜並木が美しく桜茶屋と呼ばれ最近まで茶店が数軒残っていたらしい。 その先、天神橋を渡ると常夜燈を備えた高茶屋神社、そして住宅街を抜けた先に自動車道路の高架が見える。 (単調な街道歩きをしていると踏切り、橋、高架下、というイベントは、自分の位置確認のために とても有難いのだ) 潜って JRの線路を渡ると・・・

■ 島貫 ■約1〜2km(13:30)
そこには江戸庶民を興奮させる別世界があった。誰〜れも居ない、この広い空間に俺一人!こんな贅沢は 江戸にいては出来ない事なのだ・・・・ 自然が黙って美しく残っていた。涼しい風が五感に染み渡る。 島貫の町を過ぎると街道は雲出川の土手に阻まれた。 ・・・13:40:日常からの逃避行・・これが伊勢参りなのだ・・旅人の中で何かがスルリと抜けた。・・・・・ 地面にガイドブックが落ちていた。・・・ (行程3時間・万歩計=27619)

旅人:浮浪雲
3.千里〜津 5.雲出〜松阪