37.御油宿〜赤坂宿へ(街道地図)
愛知県豊川市御油町→国府→御油橋→本陣跡→御油の松並木(3km:1時間)

■ 御油宿について ■(2000年1月8日)曇り
道楽男が一ト月も経たないのに旅に出られるのには訳がある。 去年の暮れ、品川区の商店街ウォークラリー(東海道品川宿編) に参加して「新春・伊勢神宮初詣の旅ご招待」 が抽選で見事に当たり家族にプレゼントしたのだ。 そして、お年玉の余韻も味方して正月早々、堂々の東海道一人旅である。 ・・・・今日は準備万端だ!尻にホッカイロ、朝食用にオニギリと茹卵、非常用に魚肉ソーセージ、羊羹を用意しました ・・・・ 御油宿は東海道の中でも本陣の数が多く、また本坂越え道(姫街道)との追分宿として も賑わった宿場である。飯盛女が活躍し 赤坂宿までは有名な御油の松並木を挟んで僅か1.7kmの距離であるため。 当時は広重の絵にも描かれているように宿泊客の争奪が激しかった。

■ 常夜燈・国府・薬師堂 ■約2〜300m
角に交番がある旧道を入ると左に大きな蔵が見え、空き地の片隅に 秋葉山の常夜燈(写真左)があった。 国府の商店街(写真中)を歩いていると遠くから読経が聞こえてきた。 「薬師瑠璃光如来 薬師堂」(写真右)からだった。不思議そうに見ていると近くに居たおばあさんが 今日は8日の(月に1度)命日供養でお年寄りが沢山集まって居ると親切に教えてくれた。 ・・・!・?・??誘われそうだったので立ち去ることにした・・・。

■ 大社神社・姫街道追分〜御油橋 ■約1km
商店街が終わってしばらくすると大社神社の美しい白壁(写真左)が見える。 道は細くなり、先の交差点に大きな常夜燈、ここは東海道と姫街道との追分地点(写真中)だ。 右に行くと新居関を迂回して見付宿に至る姫街道(本坂越え道)、東海道はこのまま 真っ直ぐ歩いて音羽川に架る御油橋(写真右)を渡る。 ここからが御油宿の始まりである。橋の袂には若宮八幡その先に静かな家並みが続く。 実はこの御油には10年も前に訪れたことがある。

■ 御油の家並み・ベルツ博士妻花の実家跡 ■約2〜300m
当時は道路に白線は無く 両側に古い家並みが連続していたような記憶があった。あの白須賀宿のように・・・・ それでも面影は途切れ途切れに残っている。 街道は狭くなって突き当たり、右に曲がって続いている。 傍らの棒碑にはベルツ博士妻花の実家(写真右)のあった場所を示していた。 (明治時代に日本の内科医学発展に多大な功績のあった ドイツのベルツ博士の妻、戸田花子の実家跡)

■ 御油の松並木資料館・本陣跡・東林寺 ■約2〜300m
大通りを越え郵便局裏の松並木資料館(写真左)に行ってみたが鍵が閉まっていた。 ご用の方はベルを押せと書いてあったのだが、 旅人は個人的なご用で人様に迷惑を掛けることはどうしても出来なかった。 大きな松の切り株を見て満足したのだった。 街道に戻ると道の片隅に本陣跡(写真中)の小さな碑が建っていた。 まもなく左手に東林寺(写真右)がある。この寺には辛さに耐えかねて身投げした飯盛女五人の墓があると 聞き、弔おうと探したが良く解らなかったので門前で合掌した。

■ 御油の松並木 ■約5〜600m
町並みの先に松の木が見えて来る。そしてついに目の前に御油の松並木が現れた。 (御油宿と赤坂宿の間、東海道を挟んで両側に松の並木が600m続く、 徳川家康が650本の三河黒松(木肌が亀の甲羅のようにひび割れてているのが特徴) を植樹させ今日に残る。昭和19年には国の天然記念物に指定された。 弥次喜多が松並木で狐に化かされる話は有名) 松並木の途中に弥次喜多茶屋と言う店があったので少し休む事にした。
・・・11時、何故か茶屋でサンドウィッチの裏表を確かめながら食べている男がいた・・ (行程1時間・2000.1/8(土):万歩計=計測中)

旅人:浮浪雲
36.吉田宿〜御油宿 38.赤坂宿〜藤川宿