39.藤川宿〜岡崎宿へ(街道地図)
愛知県岡崎市藤川町→東棒鼻跡→脇本陣跡→吉良道→乙川→大平一里塚→市内(7km:2.5時間)

■ 藤川宿について ■(2000年1月8日)曇り
非常食を持ってきて正解だったが魚肉ソーセージ1本では30分も持たなかった。 何とか岡崎27曲り入口までがんばりたい。 宿(岡崎グランドホテル)に着けば、一風呂と夜食(何時も迷った挙げ句のカレーかラーメン) そしてコンビニショッピングが待っている! 江戸から三十七宿目の藤川宿は鎌倉街道時代からの古い宿場である。 明治に入り、鉄道の発達とともに宿駅の機能は失われ、紡績工場が発展した。 しかし旅人を日照りや寒風から守る松並木は、開発の波に押されながらも、 大切に保存されている。 藤川宿の名物は麦の穂が紫色の「むらさき麦」と「藤の花」で芭蕉の句にも「ここも三河むらさき麦 のかきつばた」と詠まれている。

■ 藤川東棒鼻跡〜明星院 ■約5〜600m
国道を左に入ると藤川宿の東棒鼻跡(棒鼻とは宿場の出入り口の事) その細い路地を入って突き当たりを右折する。正面に常夜燈(写真中)があり、街道を左に曲がる。 しばらく歩くと傍らに案内板、その奥に明星院(写真右)が見える。 (徳川家康が戦で見知らぬ武士に助けられたが、武士は敵の矢で 片目を潰され消えてしまった。後日、明星院に参拝した折、堂内の不動尊の目が潰れているのを見て 家康はあの時の武士は不動尊の化身と感謝したという)

■ 藤川宿・人形店〜銭屋 ■約2〜300m
すぐ先に、一風変った人形屋さんのお城のような建物がある。 通りの右に問屋場跡の碑が解説板とともに建っていた。ここからが宿場の中心で、 僅かに銭屋(よろづ屋)の連子格子が昔を偲ばせる。 ・・どうも足が急いでるようだ、案内書に追われ全てを無理矢理見ようと している。ウォークラリーではないのだ。この旅は俺自身の旅なのだ。ゆっくり行こう。 しかし成長した足は勝手に歩いている。ともかく気持ちと身体はアンバランスだ。

■ 藤川宿脇本陣跡・資料館 ■入館無料:9時〜17時:休館月曜・年末年始:0564-48-2021
足を止める立派な門があった。ここは江戸時代の大西喜太夫(橘屋)藤川宿脇本陣跡で、 門は当時のままである。現在では「藤川宿資料館」として使われている。 内部の建物は小規模だが宿場街道の模型や古文書、古地図が親切に展示されていた。 庭に脇本陣跡の石碑もあり。藤川宿の雰囲気を味わう事が出来た。 この無人の飾らない街道施設に心が温まり、気持ち良く街道を西に向かう

■ 西棒鼻跡・歌川豊広歌碑・芭蕉句碑 ■約4〜500m
しばらく歩くと藤川小学校前に西の棒鼻跡がある。 その一角に広重の師匠、浮世絵師歌川豊広の歌碑(写真中)「藤川の宿の棒鼻みわたせば杉のうるしとうで蛸のあし」 が刻まれていた。 道を挟んで左先には十王堂境内に芭蕉句碑(写真右)「ここも三河むらさき麦のかきつばた」 がある。 ・・以前、この藤川小学校の先生とメール交換をした事が有る。 今、想像の世界から現実の地に立っている。この地で空気を吸っている。午後3時:旅は生きている・・・・

■ 一里塚〜吉良道道標・藤川松並木 ■約1km
民家の壁に一里塚跡。その先に二又の分れ道(写真中)が見えてくる。 真ん中に吉良道々標があった。 左に行くと三州吉良への道 (現在の愛知県西尾市への道で西三河湾に通じ塩の道とも呼ばれた) ここは松並木がある右の東海道を行く。名鉄の踏切りを渡ると藤川の松並木(写真右)が 続く。交通量が激しいので後ろの踏切りが遮断されると安心して歩ける。 松並木が終わって国道と合流した。

■ 国道一号〜美合松並木 ■約2〜3km
少し気持ちに気合を入れ国道歩きを足早にしてみた。そのせいかこの区間は然程苦痛ではなかった。 しばらくすると歩道が国道から一段高く(写真左)なり、 左斜めの旧道へ誘ってくれる。 目の前の坂下橋を越えた所に美合の東海道案内板(写真中)があった。交差点を渡ると 松並木(写真右)が続く。その松並木が終って住宅街を歩いていると、信号の無い 交差点に大きな道路が横たわっていた。左右確認しながら気をつけて横断した。

■ 源氏蛍発生地・乙川・大岡越前守陣屋 ■約1〜2km
道路を渡ってすぐに自動車のスクラップ工場がある。その車ゴミに塗れて 「岡崎源氏蛍発生地」碑(昭和初期には乙川の辺に群がる蛍の群生地であった) 先を歩くと乙川堤防に突き当たる。この先の大平橋を迂回するのだが・・ しかし川面には徒歩渡りが出来そうな石橋が見えている・・ ・濡れた足跡を残しながら男はすでに向こう岸の街を歩いていた。 国道1号の交差点を渡って旧道をしばらく歩くと右手奥に復元された大岡越前守陣屋跡(西大平藩) がある。(新築中の高層マンションが目印)

■ 大平一里塚〜岡崎市内まで ■約1〜2km
時刻は16時を過ぎ、すでに陽が落ちていた。 大平一里塚はご覧のように夕陽が邪魔して撮り難い。 東海道はやがて国道と合流し高速道路下のトンネルとなった。 岡崎市街地に入り筋違橋の先を国道1号と別れた右道を登る と法光寺、そして常夜燈が見え27曲りの冠木門があった。
・・・17時:タクシーの中で冠木門の場所を確認したハラペコ男は歴史学者と間違えられていた・・ (行程2.5時間(計7.5時間)・2000.1/8(土):万歩計=37787)

旅人:浮浪雲
38.赤坂宿〜藤川宿 40.岡崎宿〜知立宿