46.石薬師宿〜庄野宿へ(街道地図)
三重県鈴鹿市石薬師町→小沢本陣→石薬師寺→石薬師一里塚→加佐登駅(4km:1時間)

■ 石薬師宿について ■(2000年3月16日)雨
雨に打たれ、夢とは別の意志を持ったこの足に救われた。 この宿場を抜ければ加佐登駅に辿り着く。20k歩行の大きな自信となり、 そして一人前の東海道歩きと世間が認めてくれる。 なにしろ雨の中を桑名から歩いて来たのだから ・・・・ 石薬師宿は周囲を田園地帯に囲まれ宿泊客も少なく、 宿場内の石薬師寺にちなんで宿場名としたように静かな小さな宿場であった。 広重の描く石薬師寺裏手に三重にかさなる遠山、暗い杉木立、夕暮れの わびしさは静かな詩情がただよう。

■ 北町地蔵堂〜石薬師宿 ■約5〜600m
宿場入口に北町地蔵堂(写真左)がある。 説明板には(江戸時代、東海道の旅の安全のため建てられ、 現在では付近16軒の方々の奉仕により管理されている。 毎年8月24日は地蔵さんの会式)と書かれていた。 ゆるやかな坂を上り、しばらく歩くと小澤本陣跡(写真中)があった。 玄関に小澤さんの表札が掛かっている。 建物は明治に建替えられたようだが、大岡越前守や浅野内匠頭の貴重な資料 が残されている。 2〜3軒先に天野記念館?(写真右)

■ 佐佐木信綱生家・浄福寺 ■約5〜600m
少し先に「夏は来ぬ」の作詞で有名な佐佐木信綱の生家(写真左)がある。 ♪卯の花の匂う垣根にほととぎす♪はやも来鳴きて♪しのびねもらす夏は来ぬ。 通りを横切り浄福寺(写真中)を横に旧道(写真右)を行く。 ここから「侠客・吉良の仁吉」が喧嘩した荒神山は近い。 ・・・私事だが高倉健のファンである。心の中で曲が流れ ♪義理と人情を秤に掛けりゃ義理が重たい男の世界♪ すでに旅人は仁吉の助っ人に江戸から駆けつけた男になっていた。行くぞぉぉぉぉーーー!

■ 瑠璃光橋〜石薬師寺 ■約5〜600m
宿場外れの鮮やかな瑠璃光橋(写真左)から西の空を眺める頃には興奮も冷め、ゆったりとした歩きになっていた。 渡ると石薬師寺の裏門?(写真中)坂を下った所にも石薬師寺の門(写真右)がある。 (石薬師寺=高富山瑠璃光院石薬師寺、宗派は真言宗、開祖は泰澄。 寺伝によれば724年、泰澄の前に森の中から突然十二神将が現れ奇石を捧げた。 その後、弘法大師がこの霊石に 如来を彫り開眼供養を行ったとされている)

■ 石薬師一里塚跡 ■約5〜600m
この門から境内に入って遠くの霊石(写真左)に黙祷し、帰り際、門横のトイレをお借りした。 なだらかな下り坂は続き、古い家並み(写真中)を真っ直ぐ歩いて行くと行き止まりになってしまった。 犬に吠えられ慌てて土手を駆け登ると視界が開け、橋の袂に石薬師一里塚跡(写真右)はあった。 人家は無く、目標物もない、何本かの道だけがある広い景色に方向を見失う。取りあえず遠くに見えるトンネルを 潜ってみた。16:30

■ 加佐登駅 ■約1〜2km
完全に東海道と逸れてしまった。線路側で働くオジさんに聞いてみた。 「加佐登駅は線路の先だ。他に道は無い。気をつけて行け。」 と言う。柵越えを躊躇していると「何やってんだ、早く行け!」 「本当に良いんですかね〜」「いいよ〜!」と勝手に許可してくれた。 ・・・何か ♪不思議な気持ち。・・・幸運なことに関西本線は加佐登駅(写真右)に着くまで来なかった。 ・・・
・・・17時20分、来ない電車を待ち続け、男はホームのベンチで20分も幸運とは何かを考えていた・・ (行程1時間(計8時間)・2000.3/16(木):万歩計=41921)

旅人:浮浪雲
45.四日市宿〜石薬師宿 47.庄野宿〜亀山宿